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   Kai Band : 1980 CIRCUS & CIRCUS
1980 CIRCUS & CIRCUS
8/10に箱根芦ノ湖畔箱根ピクニック・ガーデンでMILLION DOLLERS NIGHT 1980 in HAKONEを開催し、大成功を収め更に甲斐バンドは大きくなっていく。
それを誇示するかのように、1980年のCIRCUS & CIRCUS TOURの詳細を3/13京都会館第一ホールに始まり、7/1の横浜文体で前半戦スケジュールに8/10の箱根を挟み、9/2足利市民会館から12/8,9の二年目の武道館公演、12/20の九電記念体育館までの全公演が掲載されている。それは、日本のライヴバンドを証明している活動そのものだ。
ページを開くと[Kai Band MILLION DOLLERS NIGHT 1980 in HAKONEをその日のPM7:47に撮られたピクニックガーデンに腰を下ろすオーディエンスのショットがある。
中にはライヴアルバム「流民の歌」のジャケットに採用されたマイクスタンドを掴んで倒れ込む甲斐のショットだったり、テレキャスターをまさに今叩きつけるシーンだったり。またまだオーディエンスのいないガーデンを見下ろすオフショットが数多く収められている。
また、Pennie Smithという女流カメラマンによる写真が独特なと共にバンドの姿をとても良く映し出している。
こうした写真を含め、22ページにも渡るボリュームのあるパンフレットはとても中身の濃いものになっている。
田家秀樹氏による「青春の無念さが狙う標的」と題された甲斐よしひろ論も圧巻だが、巻末に「なぜ白い灰になるまで燃え尽くすのか---甲斐よしひろとの四日間の旅」と題された津田仁巳氏のツアー同行記がまたこうしたツアーパンフレットには嬉しい読み物になっている。
四日間の旅とあるが、内容としては5.29 大津市民会館、5.30 福井文化会館、5/31 上田市民会館の舞台裏をレポートしている。これも半端なライヴレポートより読み応えがあって、全編を通してなんて豪華なパンフレットなんだ!と思わせてくれる。

1980 CIRCUS & CIRCUS REPRINT
さて、こちらは同じデザインのREPRINT版である。
1980年のCIRCUS & CIRCUS TOURの日程はそのままに、1981年のCIRCUS & CIRCUS TOURの3月から6月までの48公演の日程が掲載されている。
1981年は3月3日の京都府丹後文化会館から始まり、6月30日の山梨県民会館が前半戦のツアー日程になっている。前年のツアーの場所をまた周るようなツアーでファンも期待せずにはいられなかっただろうというツアースケジュールだ。

1980年はライヴアルバム「100万$ナイト」がリリースされスタジオアルバムは1981年の10月リリースとなる「地下室のメロディー」までちょっと間を置く恰好となっている時期で、3月に松藤の歌う「ビューティフル・エネルギー」で新たなバンドの顔を出し、学園危機一髪で話題となった「漂泊者」が7月に先行リリースされるなど話題に事欠かないバンドであった。
1980年のツアースケジュールから、1981年の前半ツアースケジュールと10月5日発売と記載されているこの「REPRINT」版は1980年の後半に販売になったのだろうと思うのだが、翌年のニューアルバムリリースの情報がかなり早く出ているのがよく判らないところだ。(当時に手に入れている訳ではないので)
 
青春の無念さが狙う標的
 甲斐よLひろ論 --- 田家秀樹
   ジェームス・ディーンに「理由なき反抗」という映画がある。両親との溝に悩むジェームス・ディーンと不良少年グループの男女、そして、いつもいじめられてばかりの孤独な少年という3つのキャラククーがおりなす青春映画。そのラスト・シーンは、プラネタリウムにピストルを持ったまんま逃げこんだ孤独少年を、ジェームス・ディーンとナタリー・ウッドが説得しに行くというものだった。
ジェームス・ディーンが先に手をあげて、包囲したK官隊のライトの中に表われ、「彼は撃たないといってるから灯りを消すように」と言い、その中を孤独少年が出てくる。その途端ライトがつけられ、おびえた少年がピストルを構えたところを射殺される。サーチライトの中でジェームス・ディーンが「射たないと約束したじゃないか!!」と絶叫するという印象的なものだった。
 何故こんな話をしたかというと、7月l日横浜の文化体育館で行われた甲斐バンドの春のツアー、ラスト・コンサートの、フィナーレをみていて、ふと、「理由なき反抗」のラストを思いだしてしまったのだ。アンコールで登場してきた甲斐よしひろは、 いきなり「漂泊者(アウトロー)」を身をよじって、叩きつけるように叫びだした。ロックン・ロールのリズムは、機関銃の乱射のようで、確実に危機と苛立ちの弾丸を打ちこんできた。
・・・誰かオレに愛をくれよォ・・・・というサビの部分を持っているこの歌は、会場を、ヒステリックに煽るように駈け抜けていった。そして、その後に、上下左右から、l本ずつのライトが十字砲火のように集中する中で、静かなピアノのイントロが始まり、甲斐よしひろは直立不動のまま、“涙が町にこぼれ落ち君の泣き声が、荒れて光った舗道に、夜通し聞こえる……“と歌いあげていった。この「漂泊者(アウトロー)」から「百万ドルナイト」の流れに、アッ、見てしまった、というこみあげるものがあったのだ。
 ジェームス・ディーンと甲斐よしひろ。やや突拍子もない組みあわせかもしれない。ジェームス・ディーンの肉体は役者・肉体で、甲斐よしひろの存在感は役者のそれではない。とは、わかっていつつ、どこかに、通じるものを見てしまったような気がしていた。
 ジェームス・ディーンは、スクリーンの中で、いつも、何かに苛立っているようだった。苛立っていながら、餓えている。餓えていながらスガリたがっている。そんな、自分にまつわりついている言葉にならない感情の不たしかな揺れが、ある日、暴力的な衝動になってあらわれる。それも、相手に対して暴力的である、というより、何か得体の知れぬ衝動をふり払っているかのように、自分に対して暴力的であり、それ自身が悲しみであることすら知ってしまっている。両のこぷしで壁を殴りつけることでしか、確かめられないという悲しみと苛立ち、叫べば叫ぶだけ、その後に訪れる沈黙も深いことを知っているのに、それでも、叫んでしまう。叫びながら涙を流している。甲斐よしひろの「漂泊者(アウトロー)」も、そんな、苛立ちマシンガンという感情があった。そして、その後の「涙が町にこぼれおち、君の泣き声が、荒れて光った舗道に、夜通し聞こえる」という出だしへの移り方は、あらゆる青春ドラマに共通する「見えない風景」が浮かんでくる。きっと、ジェームス・ディーンの映画の中に、あらゆる青春の感情が込められているのと似ているかもしれない、そんな気すらした。
 路上のドラマ。「ウエスト・サイド物語」のラスト・シーンもそうだった。暴走族の少年たちが交通機動隊に、解散させられた後もそうかもしれない。そして、オレたちが、かつて一晩中石を投げていようとした暑い季節。「荒れて光った舗道に 誰かの泣き声が夜通し聞こえて」いた。
 甲斐よしひろは、昭和28年生れ、以前、自分のことを「遅れてきた全共闘少年」と言ってたこともあると聞く。博多から上京してきた時に、東京の街に敷石がない理由をたずね、学生の投石防止でそうなったということを聞かされて、「オレたちに、政治の歌は歌えないと思った」というエピソードもある。
 彼の歌の中には「無念さ」がある。去年の暮れ、日本武道館で2日間のコンサートを開いた時は、涜行りのレザー光線も使わず、いつも通りのコンサートで、アンコールも、手拍子も打てないような終わり方をしていた。70年代の無念さそんな想いの伝わってくるコンサートだった。
 ひたむきであることは時として突出する。彼のメディアに対する姿勢は、ひたむきであることがひき起こすトラブルがついてまわる。
「オレたちは、去年、茶の間ではタブーだったみたいだね」
と甲斐よしひろは自ら言う。「ザ・ベスト・テン」に水割りのグラスを持って出て「生意気だ」という総スカンを喰ったのも、そんな一例にすぎなかった。ひたむきであるがゆえの突出は、たとえば、プレスリー、ビートルズ、ストーンズ・・・・イギリスのニュー・ウエーブバンドもそうだった。「茶の間」が、ひたむきさの障害になる場面がある。「茶の間」の笑顔が打倒の対象だったりする時期がある。甲斐よしひろが「茶の間」でタブーになることを、どちらかといえば誇らし気に感じていたりするのも、そんな認識なのだろう。
「ニュー・ミュージック」という音楽が市民権をもち「茶の間」の音楽として、ブラウン管に登場してくる時、「ニューミュージック」が持っていた「青春の同時性」は、どうなるのか。「茶の間」からハミ出してしまった若者たちが、自分たちの「揺れ」を音楽にすることで成立っていたものが、どう変わっていくのか。甲斐よしひろが、「出たい奴は出ればいい」というのも、自分は「茶の間の市民権などはいらない」、と、自分の在り方を定めた証拠だろう。ブラウン管の中から時代を撃てるか。
「オレたちは、街に蠢いている男や女の彼方に、時代や社会や政治がみえるような歌を歌っていきたい」
 大ヒットした「HERO」にしてもそうだろう。ブラウン管の中に、ジェームス・ディーンにも、マリリン・モンローにもなれなかったやせっぽちのヒーローやヒロインたちがいるだろうか。せいぜい刑事物の中の「いかにも」不良少年たちが、「いかにも」というディスコの中で踊っていたりする、というだけにすぎない。あの「いかにも」の不良少年たちは「茶の間」にはいないのだから。ホントは、「茶の間」にいる男の子や女の子が週に1回変身したりする姿だったりするのに、「茶の間」はいつだって「うちの子だけは」なのだ。

「ひと晩中 仕事をやって、
クタクタで帰る途中さ、
十字路でいかれたディスコ帰りの
奴らがよっぱらって、
オレのクルマをけとばした
      (「3つ数えろ」より)

 中島梓は甲斐よしひろのことを「等身大」という言葉で表現していた。今、自分の身のたけで、今、立っている所で、何を感じるか、それをストレートに歌うところで彼は成立している、というのである。ステージでの彼は等身大の所からそれをし500人倍にしようと叫ぷ。その行為は、ブラウン管の中では空しい行為に違いない。ブラウン管の中では、歌い手が、物理的にも等身大であることはできないだろうし、それをし500倍、いや、何百万人の等身大に伝えることなど、ほぼ不可能に違いない。沢田研二のアクションをみているとわかる。彼は、テレビカメラの中に収まるような上半身のアクションをしてみせる。
 かつて、エルヴィス・プレスリーがテレビに初出演した時に、下半身の動きがワイセツだからと、上半身しか映されなかったのとは違っている。カメラ向きのアクションを心得ることに、ひとつの成り立ち方があったりする。それは、COPYであって、甲斐よしひろが目指している生身のコミュニケーション、行くあてもないやりきれなさを持っている少年少女たちと、どこで時代を共有するかという作業とは、ほぼ無縁なものかもしれない。
 横浜文化体育館の、フィナーレ、ここしばらくなかった何かに打たれていた。
 歌のうまさ、だけではない。サウンドだの、曲だの、というのではない。歌唱力、という技術と、胸の想いとが一体になって会場をかけめぐっていた。声を出して走りだす、会場のガラスを割っていく客がいた、というのも誇張ではない、熱さを感じていた。
 役者はステージで倒れてみせる、スクリーンの中で倒れてみせる。それは演技としての倒れ方のうまさ、だったりする。だが、この日の甲斐よしひろは、肉体と、想いと、歌声が、ギリギリの緊張感を生んでいるようだった。

「夜にまぎれて 太陽のある場所へ
 走りつづけよう。
 早くしないとオレたちの愛なんて
 もえかすになってしまう
      (「感触(タッチ)」より)

今しかない、今しかない、ステージの上でそんなふうに叫んでいるように思えるのだ。昨日より今日、今日より明日、そして、常に今日。どこかで、「越えない」ブラウン管が、この、ひたむきに、生真面目に、突っ走ろうとする27才のロックン・ローラーをどこまで捕えることができるか。