tour books
   Kai Band : 1981 CIRCUS&CIRCUS TOUR
1981 CIRCUS & CIRCUS
表紙はシンプルで白地に甲斐バンドのロゴとツアータイトル。
このデザインがとても好きだ。1981 CIRCUS&CIRCUSというロゴもマッチしていてセンスがよろしい。
ページを広げると3月から6月にかけてのツアースケジュールがあり、12月に向けての後半のツアーの前哨戦という感じだ。
モノクロとカラーの写真をふんだんに使った構成はボリュームたっぷりである。
中でもミラーボールの前で振り絞るように歌う甲斐の表情やリハーサルの時に大森さんに耳打ちする甲斐の姿には、ステージの上の彼の激しさと正反対の差みたいなものが見えるように感じる。

手元には同じパンフレットが二冊あるのだが、表紙の紙がツルツルとした光沢のあるものと、マットな感じの二種類がある。
ページを一枚一枚見開いて比べたことが無かったので、艶が無くなったのかなくらいしか考えていなかった。
で、ページをめくって確認してみたら、いきなり写真の構成が違うのに気が付いた。
厳密に言うと前後で入れ違いになっているので、全体を通しての写真構成が変わった訳ではない。
で、なんでこんな事になっているのかよく判らなかったのだが、一つ誤植を見つけた。これが要因になっているとは思えないが、誤植というよりはミスプリントがあるのだ。
巻末にディスコグラフィーがあるのだが、アルバムの「この夜にさよなら」の部分だけ曲名が5曲目の「この夜にさよなら」で終わっていて、次に来るべき「8日目の朝」からの収録曲名が無いのだ。
かろうじてフォントの一番上が残っていて、その下がばっさりと切り落とされたような感じになっている。
このページとその前のページにあたるページが前後入れ違いになっている。たぶん、このミスプリントがある方が初稿、ツルツルした紙になったのが修正稿以降のバージョンのように思える。
同じパンフだと思ってオクに出さずに良かったと、今更ながら思うのであった。

出来る事ならばこの頃の甲斐バンドのライヴを生でもう一度見てみたいよ。


  去年の12月、ジョン・レノンが射殺された日、ちょうど、甲斐バンドの武道館コンサートの2日日だった。
NHKのこの時のライブの中に、このニュースを知った時の彼の表情が収められていたので、見た人も多いだろうと思う。
「HERO」を歌い終えていったん楽屋に引きあげてきた彼が、大森信和や松藤英男と耳うちをするように打ちあわせを済ませ、何気なく視線を移すと、テーブルの上に、誰かが置いていった夕刊がある。
一面の見出しに「ジョン・レノン射殺さる」。ギョッとした表情で立ち尽し、一瞬カメラの方を向いて、どう繕っていいのかわからぬ当惑した笑顔で肩をすばめてみせる。
そして、万感の想いで、その新聞を手で引き裂いて、部室のスミのゴミ箱の中におもむろに落としたのだ。ステージに立った彼は「逝ってしまったジョン・レノンのために」と言い「100万$ナイト」を歌いだした。モチロン、演出などではない、ジョンの悲報をのせた新聞を破り捨てたことにしても、反射的なでき事だったはずだ。客席にいたボクらには、その場のことは知る由もなかったが、テレビのカメラは、まさにドキュメンタリーとして、その瞬間を捕えていた。「人間って、時代が必要としなくると死ぬんだよ」

  コンサートが終わって、打ち上げの席で、ジョンの死について彼は吐き捨てるようにこう言った。胸につかえていた悲しみも、わだかまりも、一気に言い急ぐように・・・・・・。眼は心なしか充血していたようだった。
  人間には二通りのタイプがある。悲しみを素直に表現することのできるタイプと、内にしまい込むことでしか表現できないタイプ。悲しみを押し殺し、無念さ、という形でしか表現できない-------甲斐よしひろもそういうタイブなのだろうと思う。
  ジョンの死に涙するよりも、ジョンの死を葬り去ることで、自分自身の悲しみを追い込んでいく。肩を組んで泣いたりしないのだ。
  幾百もの歯の浮くような追悼の言葉よりも無言のまま葬列に背を向ける。
そのことが、誰にも語ることのできぬやり場のない想いを深めていく。甲斐よしひろは、そんな男なのだろうと思う。
  愛することと憎むことが交錯する場面がある。愛するが故の行為なのか、憎しみの行為なのか判別のつかない結果が出ることかある。ジョンを射殺した犯人のマーク・チャプマンも、ジョンのファンだったという。彼もまたジョンを愛していたのかもしれない。キリストを売ったユダが、キリストのロトの使徒の中で最もキリストを愛していた、という解釈があるように。そして、甲斐よしひろは、マイク・チャプマンの悲しみをもわかってしまう男なのではないかと思う。
  家族を愛することが時として家族を捨てることだったりする。生れた街を愛することが生れた街を遠去かることだったりする。一人の女を愛することが、お互いを傷つけることだったりする。そんな逆説の中で培われるやりきれなさ。甲斐よしひろにとって、それは、ステージで歌うことで表現することでしかないのだろう。事実、去年の暮のコンサートの「100万$ナイト」は、「79年のドラマはすべて終りました。オレたちは80年代にいきます」と前置きして歌った一昨年、79年の「100万$ナイト」より、スゴ味があった。「離婚した甲斐」という先入感が聞く側にあったのも確かだが、一緒に見ていた20才の女子大生は「甲斐さん、あのまま死ぬんじゃないかと思った」とすら言っていた。   甲斐よしひろは、いつも、自分の胸にアイクチをつきつけたまま歩いているように見える。ジョンの死に涙するよりも、ジョンのいない時代の荒野を単身歩きだす方が真剣な行為なのだということを知っているように見える。
  ステージの彼の印象的なポーズはおもに3つ。身体をやや“く”の字形に前傾させた姿勢。両手を前につきだして泳くように広げる。そして、雷にうたれたように直立し、のけぞるように身体を前後にけいれんさせる。そして、そのまま倒れるんではないかとさえ思わせる。
  甲斐よしひろは前のめりに生きてきた。彼が倒れる時、きっと前のめりに倒れるに違いない。ジョン・レノンがそうだったように。
  その時、前のめりに倒れた彼の胸もとには彼がずっと自分につきつけてきたアイクチが深く深く刺さっているに違いない。そして、そのアイクチは、誰にも抜くことができないに違いない。しかし、倒れるには、まだ早すぎる。

田家秀樹