THE FAREWELL TOUR

2001

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いよいよ21世紀・・・。
KISSは動き出してくれた。
2000年12月には3〜4月のオーストラリア公演を決定、従来からのセットものとして日本〜オーストラリアという構図は考えられ、水面下で調整をしている状況が伺えた。
しかもKISSのオフィシャルサイトKISSONLINEにフライングと言えるツアースケジュールが日本での発表より先に掲載されて多方面(ネット上だけど)で来日!!って騒ぎ立てていた・・・しかしあっという間に消滅という状況でくすぶっていたので、その発表を今か今かと待ち望んでいた。
そして、1/4日ぴあでKISS来日の記事が載り東京ドームの日程が当初の3/13というスケジュール通り 決定した。
他の公演地が見えない、また発売日がイマイチ不明解でない発表ではあった・・・しかし再度来日という文字と共に掲載された年明け早々のビッグニュースに皆が飛び上がった(ハズだ)。
Bay FMでの東京ドームの先行予約が早くも8日に行われ、翌日には大阪にて整理券発行!各地でチケット争奪戦が水面下で繰り広げられている。
先行予約の予約番号もネットオークションで早くも並びKISS熱も日増しに高くなっていっているようだ。

チケットの話もようやく落ち着きを見せ始め横浜の追加公演への期待も高まる中、KISSファンの為のイベントKISS Festa2001が横浜は神奈川県民ホールで行われた。
正直言って盛り上がれるのかという思いはあった・・それが大雪になったイベント当日の気持ちに翳りをさらに大きくした。
友人と会場入りする前に入った中華街の店では雪の中歩いてきたちゅうにビールをあおりホールに向かう為外に出るも、寒さと止まぬ雪に苦笑いをしながら山下公園方面に歩き出した。(それは異様な一行だったに違いない!)
ホールに着き久しぶりに見るKISS仲間の中くつろいでいるとKISSARMY-MLのメンバーさん数名が声を掛けてきてくれた(^_^)。
会場にはエリックが普通の人の様に歩いているんで、何気にサインを頼んだら「後でやるから今は駄目なの」みたいな優しい感じで丁寧に返答くれた。
イベントも始まりQ&Aではエリックに関係ない質問をするアホがいた他は和やかに進んでいき、(でもエリックが丁寧に返答するんで、結構な時間を食ったわな)ちょっとしたクイズの後いよいよライヴイベントに・・・。
王様が毎度のパープルやサバス(Iron man=テツオだよ!)、ジョンレノン(イマジン)、エアロ(ウォーク・ジス・ウェイ、デュード)でKISSは接吻伝説にも収録されてるメドレーで安定のある演奏で持ち前のキャラクタを生かした楽しいライヴを見せてくれた。
その後KISS JAPANのライヴでこちらも安定感のある演奏を聞かせてくれた。(会場の問題で火吹き、血吐きなどのギミック系は全て無し)
ミニライヴの流れからエリック登場!!。やはり元メンバーのオーラというか、KJのドラムセットより見栄えは小さく見えるドラムセットに鎮座すると圧倒的な存在感を放っていた。
そしてプレイ!オープニングは "Detroit Rock City"。シンバルを叩いた後の手の使い方などマジックを見ているかのようだった。
申し訳ないけどこのステージは完全にエリックに目を奪われ、たとえギターソロとはいえ視線はずっとエリックに向けていた。(立ち位置からジーンさんが絡むと引いて全体を見てた)
"Rock And Roll All Nite"ではKJのピーターも加わりツインドラムでエンディングにはエリックのドラムソロも飛び出し大盛り上がりで終演。
終演後KJのメンバーとちょっと会話して記念撮影してたら会場をエリックが着替えて横断・・・しっかり握手してもらった。(^_^)その後、ロビーでエリックのサインを貰う列に並び、"Revenge"の ブックレットにサインをしてもらい再度感動!!。
大雪ですら忘れ得ぬ思い出になるのに、エリックの心遣いにも触れられた楽しい一日でした。
そんな楽しかったKISS Fest2001の余韻に浸っていた頃のん気にNapsterでKISSなレアソングスを拾い集めていたら、海外のユーザーからチャット文が・・・。
何かBAD NEWSって言ってるぞ・・・え!Peter脱退!!おいおい、ホントかよー・・・。
示されたURLで確認したらどうも日本、オーストラリアにゃピーターが来ないって書いてあるみたいだ・・・。
一晩の内に情報は仲間内に乱れ飛びエースが連鎖反応起こして脱退、来日中止になるのでは・・?と再びどん底に落とされる感じに陥った。
ま、祈る気持ちで静観していようとしたら何とピーターの代わりにあのエリックが参加するという・・・メイクは?スタイルは???
疑問も膨らむが兎に角来日して欲しいという意識で状況が固まるのを見守っていた。(実は大分前に決まっていたような感じでもあるが)
各地のチケットも発売され後は追加公演の話がどうなるかが注目の的だった・・・そしたらいきなり来た。
その日は研修があったんで新聞も偶々見ずに研修会場のある場所に行って研修を受けていた時のコト、KISS仲間から携帯に連絡が入って今からUDOサイトで先行やってるらしいという話・・・「えっ!!」っとばかリに後輩の席に走っていってUDOサイトに繋げた。
ありゃ、やってる!!しかしID/PASSがここじゃ判らないー!今から登録したんじゃ話にならんと事務所に電話して自分のPCを後輩に立ち上げて貰ってメーラーにメモってあるID/PASSを読んでもらった・・・使い慣れてる後輩が居て助かった。
無事10日のチケットを押さえてひと安心、研修もロクに受けずに高揚した気持ちのまま他のKISSARMYに電話連絡を入れる。
9日の横浜はどうしようか悩んだが結局知り合いのところでセンター席が余っていたのでいくことに決めた。これでジャパンツアーは福岡を除いた6公演に行くコトになった。
各地でのML関係などのイベントも決まりあとは行くだけという状況から、いよいよ横浜追加公演からスタート。
9日の横浜は客入りが酷かった・・・僕らはセンター席の42列目、PA席の横あたり、横の席には空席が目立つしスタンドも空いている、しかし後の公演は満員御礼という状況だった。
グッズも色々、会場限定Tシャツに心揺れたがこれから行く各地で買うハメになるので諦めた、ドームでは買うかな東京だし・・
それでも買わないとアレなんでSAYONARA JAPANと背中に書かれたTシャツを買った、これを見て「本当にさよならなのかもしれない」と深く思ってしまった。
パンフレットは以前にネットで買ったものと同じ構成で日本語訳になっている点とピーターのページにエリックの写真、メッセージが追加されていた。
細かいこと言うとツアータイトルにある1973-2000って表記が1973-2001に更新してるのと、ALIVE IVの発売日が入ってた海外版に対してCOMING SOONになっている。
あとはちょっと安っぽいキーホルダーを購入、これくらいでいいだろう・・・キリがない。
10日はセンター席で35列、丁度ポールのサテライトステージの正面あたり・・・ステージから真っ直ぐにこちらにレールが設置されている。
こちらに飛んで来るんだと思うとその瞬間が待ち遠しい感じがした、そしてその時が訪れ一緒に来た仲間と狂喜したのだった。
ドームではC15ブロックとはいえエースサイドとは言えかなり外れた場所、でも周りの盛り上がりやドーム全体の盛り上がりはリユニオン以上だったように思える。
リユニオンで会場外に設置されていたメンバーの風船人形も両サイドに設置されメンバーのイメージカラーのライトアップがされ広さを生かしたセット構成だった。
名古屋までの間が長く感じられたがいよいよ名古屋に出発、泊めてもらう名古屋の友人に迎えに来てもらい、そのままレインボーホールまで直行。
ホール前でMLのオフ会を行いまた新たな出会いに感動をしつつ、いよいよこの日はアリーナ10列目。
ぐっと近くなって見るステージはすごく開演直前に座った巨漢ども(外人さん達ね)の間からメンバーを見ることになったのが残念だったが、アンコールセットに変化あり!!。
感極まって狂喜乱舞という状況でまたノドを枯らしてしまった・・・終演後名駅前に戻り結構飲んだす、2次会ではのみ過ぎててギターもロクに弾けなかった位、ちょっとショック。
20日に大阪に移動、その日のうちに最終日のオフイベントでのギグのリハを行う。夜は友人宅で大阪ならではの味に舌鼓を打ちながら暫く離れていたネットに接続、BBSのメンテMLの管理などしつつ就寝。
21日は大阪城ホール前のレストランの2階の部屋をMLで借り切ってもらいそこでオフ。
ここでも新たな出会い、そしてこの日はアリーナのジーンサイドの2列目。
ライヴ中何度もジーンの水攻撃に合いそれも含めて狂喜、さらに声が出なくなった。ライヴが終わった後体がホカホカしてたんでコートを席に忘れて帰ってきてしまって焦って取りに走る。
このツアーの間にすっかり季節が春めいてきていた・・・・。
22日は朝から大阪の友人宅のスタジオ(!!)でMLのメンバーでセッション。これもあっという間に時間が過ぎもう移動の時間。
クルマで3次会の会場に機材を運び、一路大阪城ホールへ・・・・。メンバーの居る部屋にまた集まりさらに人が増え交流するも最後の最後だけに気もそぞろという感じ。
冷静を装って会場に入るも今日はアリーナ最前列!!。このHPで知り合った方のご挨拶があったり、スタンド席にいる人から横断幕を預かったって人が最前列に来てアンコールの際にこれをステージに投げて欲しいと頼まれた。
責任重大だったけどこういうコトもしてみたかったんで快諾。 無事アンコールの際にメンバーに投げることが出来た。
そして最後の大イベント! ギタークラッシュのギターを今回とてもお世話になったKISSARMYがゲット!それで涙、涙!・・・・。
色々苦労されての最後のご褒美になったなぁという意識があって目の前に落ちたボディの行方が、このKISSARMYで本当に良かった。
このツアーでよかったのはKISSのライヴのみならず、各地でのMLメンバーやKISSARMYとの交流だった。
こういう仲間が出来た事に対してもKISSに感謝をしたいと思う。

いざ来日公演が終わってしまうと達成感か、虚脱感からかかなりシーンとしてしまったワケだが、日本からオーストラリアに渡ってオージーツアーを展開したKISSだったが、こちらでもスペシャルアンコールをやっていた。
"Hard Luck Woman"、"Shandi"、"New York Groove"、"Goin Blind"などであったが、この"Goin Blind"などは日本でも聞きたかったなぁ。
このオージーツアーが終わってKISSはまたもや一旦休止状態になり、ピーターはもとよりエースの契約云々も色々噂されTHE FAREWELL TOURの存続に影を落とす一因になったりもしました。
あまりニュースの無かった2001年でしたが秋口になって「噂のボックスセット発売」のニュースが流れ出し、KISSらしいボックスセットという事もあり、 ギターケース型シガーケース型の二種がまず発表され、その後本国で本物のギターケースサイズの プレミアム・ゴールド・エディションボックスが発売され、KISS健在ぶりを世間に知らしめた。
それぞれ5枚のCDに全曲解説のブックレットが付く、未発表音源の中には珠玉と言えるものもあり(個人的には)正式リリースを惜しむ声もないわけではない内容で驚く。
また幾つかのデモではリリースされている元になっているものもあり、その姿を変えたリリースに驚きや工程を想像して楽しめる内容になっている。
CDのバックサイドには各メンバーのメイク写真が用いられているが、特筆すべくは5枚目がEric Carrだったことではないだろうか・・・。
KISSのヒストリー上欠かすことの出来ないメンバーだけに、その思いがKISS内でもあったかのようで、皆さんも熱い思いを呼び起こしたのではないだろうか。
KISS自体の活動は少なめながら11月に日本でも発売されたこのCDボックスセットでKISS熱もまた、ふつふつと沸きあがっているかのようだった。


And Next Time