2004年9月の日記


そんな朝
徹夜明けのKen
少しは寝たようだけど、俺が出掛ける寸前も机に向かっていた。
「まぁがんばれ」と言って家を出た。

今後はそんなじゃやっていけないぞ、と。
2004年9月1日(水) No.140

なんだかねぇ、あんた。
帰宅前に電話するようにしているが、電話口にKenが出た時は何かあるとピンとくる。
帰って話を聞くと・・・

Kenの宿題のノートが記名が無かったと先生に言われて、慌てて山になったノートから無記名のノートを探して、見つけて名前を書いたって言うから
多分、自分のじゃなかったと・・・思った。
続けて聞けば案の定その通りで、マズイ事に自分が苦手にしている相手のだったと・・。
そりゃブツブツ言われる訳だよ、名前書いてもいねーやつから。

自分も自分のノートに記名したかどうかくらい自信持って言えないのかよ。

どっち見てもイライラする出来事。

このことからまた周りから囲まれてヤンヤヤンヤ言われてしまったそう。
「書いてねーお前が悪いんじゃん」って言い返せよって思うけどな・・・
そもそも先生がちゃんと誰が書いてねーか把握してないから、こうなるんじゃん。
しかもKenだし、よりによって相手がソイツだしな。
間が悪いってか、なんか悪い時間軸の上で苦しんでいるなーと、とことんKenについて思う。

もうすこし要領よく立ち回れないもんかねぇ。
先生も先生でもちっと配慮してくれよ。
2004年9月2日(木) No.141

あーぁ
もうKenの話ばっかし・・(T-T)
頭が痛いよ、まったく。

事が起きればくだらない話ばかり。
そんなの子供同士で何とかしてくれよ、頼む。

別にKenが助けを求めてきているほどの事でもないが、学校であった出来事を聞いていくと俺らは腹の立つことばかり。
んで出てくるのが・・・

そいつにちゃんと言い返せ!って事だけ。
もう情けない。

学校で中傷されて、家に帰ってきてから親から「しっかりしろ」とゲキを飛ばされて立つ瀬が無いよな・・・
色々思いながらももちっと強くならないと、何も改善しないよな。


2004年9月3日(金) No.142

辛そうだ
今朝もKenが俺が起きる前からごそごそと薄暗いリビングにいる。
やっぱり学校に行きたくないんだろうなと思う。
壁に貼ってる学校行事の紙を見ながらじっとしてたり、ソファに寝転がったりと何をするでもないんだけど、居心地がよいわけでもなさそうだ。
6時過ぎに目覚ましが鳴ったのをキッカケに起き出し、Kenに話しかけた。

反応が鈍いんでやっぱりなという状況だ。
少し話してみたけど、ダメそうなんで俺の部屋に呼んで時間があるだけ話を聞いてやろうと思った。

まず学校でどんな状態なのか?
中学への進学の事。
仲の良い友達とか、悪さをするガキとか・・・

毎度のことだ・・・
些細と言ってしまえば些細な事だ。

言っても効かないなら、手出していいよとまで言ってある。
怒ったら怖いんだぞって所を見せる必要がある、からだ。
今まで「言っても無駄だから」と我慢してきたツケが周ってきてしまっているように思えてならない。

あと、学級の腐った状況。
「自分さえ」

不憫であるとも思えなくもない・・しかし、活路を見出すのは自分の勇気と行動だっていうのにも気が付いて欲しい。
気が付いているのだろう・・・でも怖くて勇気を出せないでいる。
これがぜんぜん変わらない。

危機的状況ってヤツだろうか・・・。

抱えたトラブルの霧が晴れない毎日を送り、忙しい日中も帰ってきてこの話でドンヨリだ。
息子の話だから苦にはならない、しかし気分は重い。
正直ちょっと参ってきたな。俺も。
2004年9月8日(水) No.135

!!!!
今朝もKenが早くに起き出していた。
あまり多くは語らず、「今日は学校行きたくなかったら行かなくてもいいぞ」と言った。
ただし、学校へは自分で行かない理由をはっきり言って休む事、それが条件だ。
そう言い出社したが、会社に着くちょい前にかみさんからメールが入り、結局学校に行ったそう・・・。
休めば連絡帳を嫌なヤツが持ってくる、その時何を言われるか判らない、その時間にかみさんに帰ってきて欲しいと言ってたらしいが、そんな事は出来ないと言ったら、しぶしぶ学校に行ったそうだ。

休むにも休めないという感じ。
酷いな。
どんな毎日なんだろうと胸が痛くなった。

学校に電話してやろうか・・などとも思ったが、思いとどまった。
明日直接言ってやろう。

今日も帰宅は11時過ぎ。
目まぐるしく自分の周りに障害対応の話が舞い込む。
一つ片付ける前に他の案件が、待ち行列に並んでいる状態。
自分を必要とされている状況に感謝せねばいけないのかもしれないが、あまり酷いのがあるとさすがに辟易とする。

午前中もさすがにキレてしまった。
事を起こしたのは自分なのに、まるで他人事だ。
胸糞悪かったので、電話口で罵倒してしまったよ。
さんざん「そんなの知らん」と言ってたけど、時間を指定して「メール行ってるだろ!」と示したら「着てます」だって。
急にトーンダウンしていやがったので、「自分の責任を果たせ」と電話を切った。
この数週間こんなのばかりだな。
こいつはマジで距離を置かないといけないヤツだと再認識した。

まぁ夜になってもまた打ち合わせだなんだって結局帰るのも遅くなった。
明日は懇談会があるので事情を説明して、休ませてもらった。
自分も正直疲れているのでここでの休みは正直有難い。

さて、もう帰るかと10時を回った頃自宅に電話した。
いつもの事だが「Kenはどうだった?」と聞くと、毎度の如く色々あったらしいが、親分格のヤツと喧嘩になって、顔みキズ作って帰ってきたらしい。

「やった!」

出来るじゃん。
別に喧嘩推奨するわけじゃないが、これだけ精神的苦痛を味わいながら、今まで反撃に出られなかったのだから、大きな進歩だと思う。
これで弾みをつけてくれるといいのだが・・・。

明日はどんな親がくるのだろう。
俺はどれだけちゃんと話せてやれるだろう・・・。

Kenもやったんだから、俺も親らしくしっかりやってやらねばな。



2004年9月9日(木) No.136

懇談会
はっきり言って出るのは憂鬱だったな。
どんな場かも今まで出ていないんで、知らんし(それも母親任せって言われりゃ返すことばもないが)自分の思いがどれだけ出席している人に響くか・・・心配だった。

中学は地域での選択性になっているので、その説明会から夫婦揃って出た。
本当は授業参観があるんだけど、今この気持ちのままネコを被っている状況の参観なんて無意味だと思っていたのだ。
気分的にも腹立たしい気持ちが大きいので、見る気が起きない・・・それが理由だった。

説明会は書類に目を通しているのであまり必要ないが、多少は「なるほど」と思える話題がなかったわけでもなかった。

さて、30分位でお開きになり教室に戻って懇談会の場へと・・
ナンだかこれから「戦闘」しに行くような気分だ。

日頃お世話になっている子のお母さんを紹介してもらって、ご挨拶。

3階の6年の教室へ・・・

父母会?っていうの?PTA?・・よく判らないけれど、運動会で父兄参加の
綱引きで男の人出て欲しいと・・
いやー先にかみさんに言われてたけど、やっぱり「やってみない?」といわれたけど、この状況で「やります!」なんていう気になれなかった。
まぁ運動会ってのもイマイチ見るのはいいけど、出るのは好きではなかったからなぁ・・昔から。

担任も来ていよいよ懇談会へ。
2学期始まって幾らも経ってはいないが、現状のクラスの様子など本当にかいつまんで報告があった。
そうそう、校長先生も同席して内容を聞くと言って隅っこに座っている。
このクラスの状態を示す体制と言っていい感じ。

先生からインターネットのBBSで個人名を出した形での誹謗中傷が書かれているという事実を知らされる。
「あぁ何か書かれているんだろうなぁ」と感じた。
どうやらプリントアウトしたものがあるのだが、回して見せようとしない。
具体的な話もしようとしない。
ジレていたがどんなアクションを起こすと良いのか考えていた所、他のお母さんが「ちゃんと話してほしい」という声が・・あぁそんなストレートでいいのね・・変に遠慮してた自分の抑制心が放たれた。

回ってきた紙を見る前に隣のお母さんが「××さんの事も書いてあるのよ」ってウチの子の事が書いてあるのを教えてくれた。
やっぱりか・・・
見たところ大した内容ではないけれど、日常的にこうした場で隠れて(隠れたつもりで)陰話をしているのだな・・時代も変わったんだなって思った。
佐世保の事件を例にすごい剣幕で言ってるお母さんもいたが、当事者ながらさほど気にならなかったのは、自分自身がHPで慣れているからかもしれない。
しかし実名を挙げて書く所がガキっぽいというか、お前はあいつだろ・・って特定出来る状況に笑ってしまった。
HNも誰って判る内容でもあるので、教えてもらったら・・案の定のメンツだった。

しばらくそんな話や脱線した話があったが、先生が結び言葉を始めようとしてたので、ここが出番とばかりにどばーっと一気に今までの出来事をかいつまんで話し、昨日の喧嘩の件、この数日の様子、休むに休めない状況、学校に任せて何でも相談してくれといった結果、相手の親にも言えないジレンマなどかなりの勢いで先生に向かって話した。

先生は声がほとんど聞こえない程小さくなり、消え入りそうになった。

強いものに巻かれてしまう弱い子、よくなろうと考え直して良い行動をとろうとすると強いモノからの嘲笑で引き戻されてしまう現実。
いじめのターゲットが一人いると周りは自分でない事を良いことに、一斉に引いてしまう体質であるという事。
殆どのお母さんも感じていたことのようだった。

校長がこの事態を受け説明に入り、隣のクラスの女教師も助け舟を出した。
この先生は1,2年生の時の担任で本当に頼もしい良い先生だ。
この先生のフォローはジーンとしてしまった、泣いているお母さんもいる。
今もこの先生だったらと残念に思う気持ちはあったが、自分の子が全てOKというわけでもないので、このへんはしっかり直していかねばならんよな、と強く思った。

けっきょく帰る頃は真っ暗になって、校長からも話をされ、担任もまだ消え入りそうな状況でもあったが、自分の意見を真摯に受け止めてくれているようで救われた。

こんな場の出来事で何か変わってくれるか判らないが、参加してくれた親たちが各家庭の中で展開していってもらいたいものだと思った。

家に帰るとKenの左目はさらに紫色になって男前があがっていた・・・。

すっきりした。

が、これでよかったのだろうか・・・ちょっと不安もあるのだった。
2004年9月10日(金) No.137

墓参り
今日は親父の墓参りの予定。

Kenが過密スケジュールで朝からソフトの練習、9時に戻り今度はプールに行くと言う。
プールが11:30迄なので帰宅後すぐお袋を迎えに行き、姉貴を連れて霊園というコース。
本当にすんなりいくのかな?と思ってたら案の定、12時になってもKenが帰ってこない。
さすがに遅いのでSyunを連れて周りを探しに行くも、いる気配がない。
一緒に行った友達の家に行ってもまだ自転車がない・・・帰っていないのか。

途中で遊べるようなお金は持たせていない。
一旦帰ってもまだ帰宅していなかった。
何かあっても困るので、今度は一人で探しに出掛けた。
もう一度プールへ・・それから友達の家に・・自転車があった・・とすると・・・
かみさんから電話があって、帰ってきたって。

今日は墓参りだし怒ってもしょうがないので、連絡だけするようにって注意するだけにしようと心に決めて家に戻る。
帰るとKenが申し訳なさそうにソファに座ってたが、理由を聞いて今度から連絡をちゃんとするようにとテレホンカードを渡して、出掛ける準備をして家を出た。

お袋の乗せ姉貴の家に向かう。
まだKenの目の周りの青タンに気がついていない様子のお袋だったが、姉貴の反応が楽しみである。
途中ちょっと混んで3時前に到着。
ちょうど姪っ子が出掛ける途中だったので、しばし話をする。
クルマの窓ごしにKenを見て目の周りの異常さにすぐに気がついたようだ。
「喧嘩?」って聞いて笑ってた。
姉もすぐに来てKenを見て「かっこいい!」って言ってる・・・予想通りの反応だ。

姪っ子は勉強があるとの事で代わりに甥っ子を乗せ霊園に向かう。
こういう時やっぱりこのクルマは便利だ。
スムーズに霊園に到着、皆で墓石周りを綺麗にして、水をたっぷりとかけ、線香をあげ、花を活け帰る。
儀式的なものでアレなんだが、いつも家族の健康と安泰に暮らせるように見守ってくれと親父には祈っている。

帰りに中途半端な道を選んだせいで迷ったりもしたが、無事復帰。
腹が減ったので皆で寿司に行くことにした。
知ってる所に安くて美味い所があるというので、そこに向かってクルマを走らせる。
しかし・・・遠い。
すげー腹減った。

ようやく着いた。
まだ夕食の時間には早く、皆でボックス席2つを占領しての食事。
大人と子供で別れて思い思いの寿司を食べている。
ネタも豊富で初めて食べるようなものも多い。
皆満足して帰路につく。

姉貴を送りお袋の家に着いて、最近足の悪くなったので階段がキツイというので先週買っておいてあった、手摺用の材料をそれぞれのポイントに付けていく。
柱に支持台をつけてパイプを留めていく。
手摺専用ではないので、ちょっと細めのものだが、既製品にないようなつけ方が出来るので重宝しそうだ。
実際にお袋に歩かせて支えが必要な部分に取り付けていく。
大分楽になりそうだという事なので、ひとまず安心だ。

一通り工事してさすがに疲れたので、我々も帰宅することにする。

家に帰ると急に現実的になって、明日はKen大丈夫かな?という事ばかり頭に浮かんでは消えていった。

さて、どうなるやら。


2004年9月12日(日) No.138

ひとまず・・・
今日は何事もなかったようだ
毎日この事を気にしてKenに聞くのも嫌な感じなのだが。

大抵、会社から「帰るコール」をすると、電話口に出るのがKenなので、その日の状態は声を聞けば判る。
今日もKenが出たんだけど、本当に何事もなかったようで・・・
逆に悪さをしてきた親分格のヤツが、Kenをたてるような声を掛けてきたというので、ちゃんと返事したのか?と問いただす程。

昨日の敵は今日の友とまでいかないだろうが、この彼は自分自身変えていこうともがいている一人と見ているので、互いに成長していってもらいたいものだ。

Kenは朝っぱら早くから起きているのは変わらずで、リビングも俺が起きる頃は薄暗いんだけど、どうも事情が違うようだ。
朝起きてシャワーを浴びてリラックスしてるんだって。
何か寝ていられないんで起きて、気持ちが沈んで・・という図式じゃなさそう。
先週は確かにそういう面があったはずなんだけど。
気持ちに多少余裕が出来たのか、夜は9,10時に寝るようになったし、その分朝6時起きだって問題ないだろう。

兎に角、ひとまず安心した一日でした。
2004年9月13日(月) No.143

デジカメ買ってきました
旅行行くにもちょっとした写真を撮るのでも、スチルカメラってフィルム買ったり、現像したり、現像したフィルムの管理したり大変ですよね。
なもんで、ウチもそろそろデジカメにすっかなって気がしてたんだ。

どこかデジタルって信用出来ないっていうか、保存したハズのCD-ROMが消えちゃって、中身がパァってのも嫌だし・・・そんな気がしてた。

現像したフィルムも段々扱いが雑になってきて、今ではどこにあるのか判らないっていうのも多い。
しかもどのフィルムが何の写真だか・・さっぱり。
アルバムの整理も撮る割にしていないので、現像してきて一通り見て、そのまま保存って感じでアルバムも増えてないし・・。
整理するの物凄く大変だよなぁ・・いつかやらないとなぁ。

この辺のところはデジカメを買った所で改善はされないんだけど。
今回はパナから出たFX7っていう、所謂「あゆのデジカメ」狙いで買い物をしに行った。
正直、カメラの技術っていうか必須機能ってどんなものがあるのかってのもあまり知らないし、ノートパソコンを持っている訳ではないので、メディアの種類も関係ないし。
VAIOでも持っているならサイバーショットになるんだろうけど、このSONYっていうのは最近信用していないし。(ソニータイマーなんだろうかね)
TVやカセットデッキはSONYって決めてた時期もあったんだけど、前回のキララ・バッソの29インチTVはハズレだったしな。

そんなのもあって、雑誌のレビューやインターネットの比較サイトで500万画素クラスのカメラを比較したんだけど、どうもピンと来ない。
総合的にCANONのIXYがコンパクトカメラでは良さげな印象なんだが、レスポンスがイマイチっぽいのと、大きいんだよね。
ウチにIXY 200があるんで、CANONは逆に外そうかなって・・
で、目だったのがパナのこのモデル。
CMの効果も高くかみさんの認知度はこれがダントツ。
好んで使ってもらわないと意味ないんで、これ狙いで買い物に行ったワケだ。

ヤマダにコジマ、PC DEPOとはしごして状況見て、PC DEPOが41,000台の値段つけてるんだけど、全機種予約注文になっていたので、結局ヤマダの47,000でポイント10%ってのが売値42,000相当って事でいいのかなって思い直して戻って聞いたら、こっちも予約だってよ。
これだけ「欲しいモード」になってしまっているんで、何とか手に入れないと気が治まらなくなってきた。

その足で食事もとらずに秋葉原へ。
普通の店で買えば52,000コース。案の定どこもそんな感じ。
需要が高いので高値で推移している様子。
しかも在庫がない。

ダメ元で入ってここで無かったらしばらく様子見ようと思ったナカウラで在庫があった。
もう色は何でも良かったんだが・・かみさんはピンクって言ってたけど、ちょっと買う気ない色だよなぁ。
シルキーシルバーなら無難、ブルーもさわやかな感じでいいなーって思ってたら在庫があったのは黒だった。
しっとりした黒で悪くないんだけど、地味な印象かも・・ちょっと迷ったけど、在庫はこの1台だけってさ。

その時点で49,800の値段をつけていたので、手持ちの49,000でちょっと足が出てる程度。
ソレくらいは軽く切れるだろうから、後はメモリか・・・
現金とカードの合わせ技でメモリ512MBを買って満足の行く値段に落ち着いたので、購入決定。

帰るクルマの中で充電しつつ帰宅。
あまりに小さいのでかみさんもびっくりしつつ、今度使うのを楽しみにしているようだった。

まぁまずアルバムを買って整理しなければだな。

 
2004年9月18日(土) No.144

敬老
先週工事が完遂しなかったので、手摺の工事をしにお袋んちにSyunを連れて行った。
支持台を貫通させて強度を出そうと思っていたので、複数個追加で買いにこの前の店に行く。
ついでに長めのネジを多めに買って行く。
結局支持台は倍の数を買い、必要に応じて向こうで貫通穴を開けて、余計に支持台を付けようと思った。

材料も買ったのでお袋んちに急ぎ、到着した時にちょうどお袋が道端に出て掃除をしてた。
それを見てサングラスを外したら、右側のつるが根元からポキリと折れた・・・(T-T)
お気に入りなのに・・・ちょっと嫌な予感しつつ、家に入り工事に取り掛かる。

まずはこの間つけた手摺の間に貫通させた支持台を一つづつ追加していった。
これでかなりの強度を保てると思う。
ちょっと気になるのは斜めに取り付けた部分だったが、これで簡単には外れないだろう。引っ張りには弱いかもしれないが・・・

あと追加で2本つけたいった。
互い違いに渡り歩けるようにつけていったので、どっちによっても体を支持出来るようになったと思う。

多少なりとも親孝行出来たようで、良かった一日だった。
2004年9月19日(日) No.145


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